どうも。
かなりどうでもいいことですが、最近体重が3キロほど減少した、管理人ことa-kazooです。
昨今の働き方改革に物申す!(おまえがか!)
昨今「働き方改革」なるものが世間を賑わせています。
安倍首相は労働者を守りかつ生産性を高める改革だ!
と声高に叫んでいますが、果たして本当に労働者のため、強いては日本国の生産性のためでしょうか。
長時間労働を避けることが本当に労働者のためなのか?
長時間労働を減らすために、プレミアムフライデーなどの施作が政府から打ち出されています。
しかし現場からは、
「トータルの労働時間は変わらないか、むしろ増えた」
という声が聞こえてきます。
なぜなのでしょうか?
労働基準法では1日の労働時間は8時間と決められていますが
(36協定を結べば現行制度上は事実上無制限になるので8時間にはほとんど意味がない。ただし割増賃金は発生するが・・・)
都合よく8時間でミッション終了する業務はあるのでしょうか?
強いて言えば単純労働でしょう。
工場のライン工や事務職でのデータ入力などはその筆頭。
しかしこれらの職種は何時間作業したとしても付加価値を産むことはありません。
なぜならこれらの分野は「オペレーティング(運用)」の分野だからです。
つまりは「業務の運用」部分の働き方になります。
運用というのが見通しが立てられます。
例えば車などは一度雛形(試作品)を作ってしまえば、あとはその雛形に基づき決まった作業・手順を踏むことにより雛形と同じものが作れます。
最初の雛形だけが付加価値を生むのです。
事務のデータ入力については、単に紙の帳票を電子データに置き換えている作業になります。
後々データ整理・分析に役立てられるようになり、その分析によってもたらされる意思決定に関しては(当たれば)付加価値が生まれます。
しかしデータ入力を多少早く終わらせたとしても、それは付加価値が高いことの証明にはなりません。
なぜならその労働者のスキルがアップしないからです。
労働者の単純労働からの脱却へ
データ入力について「代わり」は誰でもいます。
その人が辞めたら代わりにさらに時給の安い労働者を、派遣会社から連れて来ればいいだけになります。
日本人が受けてくれないなら外国へ委託するまでです。
最近では年金データ入力の業務を中国の会社へ委託していた事象(契約違反ではあります)は記憶に新しいところです。
付加価値が生まれない、つまりは
「誰がやっても同じ結果になる仕事」
は機械やプログラムがやったほうが中長期で見ればコストが安くなります。
(導入には相当な金がかかりますが、その後の運用費は人を雇うより安くなります。)
「結果にコミットする」というライザップのCMは有名ですが、仕事についても所詮は結果が全てなのです。
結果とは会社にとって見れば
「利益」
になります。
利益にならない仕事は一部の長期投資を除き、全てコストにしかなりません。
そのコストを削減をするために企業は常に人員削減を行っています。
(優秀な人だけいればいい)
オペレーティング(運用)の時間からの脱却
長時間労働のほとんどの主要因は、オペレーティングの不具合によります。
例えば日本企業で新入社員にまず学ばせることは
「報告・連絡・相談の徹底」です。
なぜなら仕事の意思決定の権限は上司が持っているからです。
最初のうちはそれでいいですが、中堅社員になるとそれが業務の支障につながります。
なんにしても、自分で意思決定して進める、ということが仕事の醍醐味になります。
(ただし責任も倍増しますが・・・)
その報連相の頻度が多すぎるのです。
企業によっては100円の経費を使うのにも上司の許可がいります。
(コンプライアンス上は仕方ないかもしれませんがその代わり時間だけは食います)
年度初に予算で決めておいて後はご自由にどうぞ、というやり方の方が運用コストがかかりません。
最後に
「報・連・相」の徹底は入社5年目までで終わっていいと管理人は感じます。
後は業務権限をいかに譲ることができるか、が運用コストの削減につながります。
ただその権限を移譲した結果、失敗も多くなるかもしれません。
しかしその失敗は将来への人財投資と捉えれば何も悪いことではないのでは?、と思います。また管理職のマネジメントスキルも向上します。
これだけモノや情報に溢れまくっていて、日常生活を送るのに困らないこの国で、今後の会社の利益をもたらすのはヒトの自由な発想です。
自由な発想をするためには100%時間で縛ってはいけません。
(逆に0%でもダメ。人間暇すぎるとロクな発想が浮かばないw)
働き方改革は
「時間からの脱却」
を徐々にしていくべき改革だと管理人は思います。(裁量労働制の実施には期待していたのですが・・・)
いろいろ思うところを綴ってみました。
それでは!
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